2020年8月13日木曜日

創作TIPS 主人公が自分に近いときは、客観性を保つこと

前の創作TIPSで、大事なことは、
1 主人公になりきって書く
2 他人の目になって読む
3 主人公が自分に近いときは、客観性を保つ

だと書きました。しつこく言いますが、これってほんと、大事です。

それでこのうちの3 ですが。

二つ失敗パターンがあると思います。

一つは「これはエッセイ」と言われてしまうことです。

エッセイと物語の違いについては、前から何度も私も考えて、結論はでていないのですが、たぶんですね、例外はあるとは思いますが、おおむね、「作者がだれであるか」があらかじめ読者にわかっていなければ成立しないのがエッセイかな、と思っています。

たとえば有名な作家さんとか、作家さんの娘さんとか、俳優さんとか、画家さんとか、無名な人であっても新聞の投稿欄のように「会社員55」とか「学生21」とか「農業45」とか、どこに住んでどんな暮らしをしているどんな世代の人、ぐらいのある程度の範囲でどういう人かがわかっていることが必要です。

でも物語は違います。一人称であって見かけエッセイと同じような体裁に見えるとしても、その中で完結してるわけです。何者であるか、どんな人物であるか(特に性格)、について客観的な記述がどこかでされている。その分、作者とは切り離されているわけです。そこが一番違うかなと思います。

もう一つの失敗パターンは、これは私もよくやってしまいますが「青年の主張」になってしまうことです。もっとも私なんかだと青年じゃなくて、老年ですけど。

書いている主題が大好きな事象についてだったり、大嫌いな人についてだったりすると、よく起こります。つまりエッセイとは別の意味で、自分とは切り離せなくなってしまう。そうすると一方的に主張しちゃうことになる。

物語の体裁をとっていても、これは主人公と作者がくっつきすぎなわけで、大変読みづらい。じゃあ離れるのにはどうしたらいいかというと、作者自身が主人公であれば、突き放すというか、幽体離脱して自分を眺めなければならないことになります。これは何度も失敗してみないとわからないと思いますが、大変難しいです。

よく「自分のことを書け」と言われますが、これは文章修行には一番いいです。なぜならば、他人のことを書いているときには見えないことが、自分のことを書いているときにはわかるからです。細かな気持ちとか、事情とかね。ああ、こういうこと書けばいいんだとわかってから、他人のこと(つくりごと)を書くとうまくいくようになるわけです。

でもじゃあ、自分のことさえ書けばよく知ってるからOKかというと、大失敗するのは、この幽体離脱ができてないときだと思います。

まあそんなこと、たくさん合評とか出ているうちに思いました。TIPSとして覚書にしておきます。