前の創作TIPSで、大事なことは、
1 主人公になりきって書く
2 他人の目になって読む
3 主人公が自分に近いときは、客観性を保つ
だと書きました。しつこく言いますが、これってほんと、大事です。もしも、投稿作品がなかなか掲載されない、あれも書いたのに、これも書いたのに、いったい何が足りないんだ、と思っている方がおられたら、この三つをぜひ気にしてみてください。(ただし結果がうまくいくかは、私にはわかりませんが……すみません)
で、歴史ものの場合もこの三つは同じだと書きました。しかし歴史もののときはもっといろいろムズカシイことがあります。1 主人公になりきるというのが、明らかにその人じゃない(し、その人の子孫ですらない)とわかっているときは大変なのだ、とも書きました。
じゃあ 2 他人の目になって読む というのは簡単だろうか、というとそうでもありません。
主人公と他人(読者)の間に、時間のギャップがあるからです。
前のエントリーに書きました「しかし、その時代に当然なことでも当然としてスルーしてしまっては読者にはなんのことかわかりません。そこは作者に立ちもどって、適時今のひとにわかるように解説しなければなりません。それもいきなりナレーションが入るのではなく、主人公から見える範囲で、人の言葉や、観察などで。」というのは、実は1の主人公になりきって、ではなく半分は2の他人の目になって読む、のほうの問題なのです。つまり主人公には当然の常識でも、読者には当然でないということです。それをどう扱うか。
これは特に時間の経過、宗教感情、死生観、道徳観、身分関係、男女関係などでも顕著です。
たとえば昔は戦争をしたとして、収穫のために休んで、などということがあったとしても、読者は今の人ですから、そんな悠長な、と感じてしまい、緊迫感が伝わらないかもしれません。そこはなんとか物語上のやりくりで、ぱっぱと進めて、いったいどうなるのか、どうなるのか、と読者に思わせなければなりません。
男女関係でも、昔ならば当然女性のほうが「はい」と有無を言わさずのむ条件でも、歴史的な結果としていずれのむという結論にもっていくにしても、「本当はおかしいのにしかたない」と葛藤しなければ現代の読者は違和感を覚えます。
たとえば乳幼児死亡率が大変高い社会で、二歳までに死ぬのはしょうがないと達観しているはずでも、現代の読者にはその達観をストレートに書いては違和感があります。このときは例えばですが、みんなはあきらめても、主人公はあきらめずじたばたしたうえで、これはこんなものだと主人公以外の人に諭され、「いろいろ手をつくしたが、しかたない」と考えるというふうにもっていかなければなりません。
そこが主人公と読者の乖離の大きな歴史ものでは大変なところです。
もちろんこれらを歴史上の死生観などに忠実に書きたい、という方にはそうするなと言っているわけではありません。ただ忠実に描くのであればそれなりに工夫が必要です。例えば異世界、異文化から来た主人公が「こんな世界があったなんて」とびっくりする設定にするとか。今の人の価値観に近い変わり者の主人公の目でその世界をながめるとか。これはたとえばですが。とにかく工夫が必要ということ。
これが歴史ものの大変なところですし、たとえば校閲さんや、監修の先生に資料と違うなどの指摘をされたとしても、作者としてはそれとは違う次元で判断をしなければならないところです。
大事なのは、あくまで今の人が読む、ということなんだと思います。