2020年7月19日日曜日

季節風143号来ました

 同人『季節風』にはお世話になっていて、いつも仲間にはなぐさめてもらったりしていたのですが、編集委員(幹事)は、申し訳ないけど、遠慮させていただいておりました。
 季節風に投稿していたときは、編集委員はあこがれの遠い存在で、それにさせていただけるというのは、名誉なことのはずだったのですが。
 理由の大きなものは、たぶん私がじゃま、つまり作風違うし、育った場所が季節風だけじゃなかったし、みんなと言うことがくい違うと投稿者が迷うのでは、ということだったのですが、今回編集委員が足りなくなっちゃった、ということで初めて編集委員にならせていただきました。

 それで今回はじめてバーチャルで編集委員会に最初から最後まで参加して、思ったことがあります。
 やっぱり作風とか、育った場所とかにかかわりなく、基本的なことはいっしょで、いわなければいけないことも(言い方はちがうにしても)いっしょなんだなあ、と。
 それを今回の季節風の最後、編集後記に書きました。自分の文章は転載してもいいと思いますので書きますと、

『 今回初めて編集会議にリアル参加するはずが、新型コロナの非常事態宣言中ということで、バーチャル参加となりました。うまく意見が言えるかなと心配していましたが、なんだ、いつもの合評会と変わらず。これが季節風だなと思いました。そしてどんな作者、どんな作品を前にしても、対する基本は変わらず、これも同じです。いつもいつも同じことを言われつづけて、やっとやっと人並みになってきた自分を思い、言われる方でなく言う方があきあきしているとしても、やっぱりあきずに言わなければと思いました。(森川)』

 もちろん、みんなちがってみんないい、という世界ですし、季節風に載らなくたって他にいくらも方法はあるし、そしてこうしたら、と頭をしぼってアドバイスしても、その人は別のやりかたでブレイクスルーしてこっちよりもよっぽど売れっ子になる、なんてことはいっぱいあるわけです。

 でも、でも。やっぱりベースというのはあるので、その上にその人の「よさ」はそっと乗っかるわけで(そしてそれが評価の対象)、でもそのベースがなかったらよさがいくらあっても、他人は読んでもくれない、理解してももらえない。

 私もいっぱい同じこと言われて、そんなこと意図してないとか、あなたとは作風が違うとか、ぶーたれ思っていたのですが、言われることはそんなに種類はない。

 若いときは勉強で答案の添削なぞ受けて、たまにコンピュータで紋切り型のコメントを印字してくる人がいると「ちゃんと仕事しろよ」とか「読んだのか」なんて思っていましたが、その気持ちは今はわかります。人間やることはけっこうみんな同じで、欠点にはそんなに種類はないんです。

 創作の場合は、それぞれジャンルと場合によって変わりますが、ベースはおおむねこの二つです。
   1 主人公になりきって書く
   2 他人の目になって読む
 これには、バリエーションがあって
   3 主人公が自分に近いときは、客観性を保つ

 これを手を変え品を変え、何度も何度も言われているだけです。
 そして何度も何度も失敗しているわけです(今も)。

 まあ創作TIPSとしてメモしておきます。