書名:薫ing
著者名:岡田なおこ
出版社:岩崎書店
好きな場所:「たっしゃでな。いじっぱり」
「バイバイ、クソジジー」
薫と老人の距離ができた。
「おい」
しがみつくように老人が声をあげた。
「こんな体して、ふつうに生きるのは大儀だな」
薫はひらりとふり返り、
「だけど、あきらめない」
所在ページ:p130
ひとこと:ここに載せるのは、新刊がほとんどなのですが、これは1991年の刊です。
でも、作者の岡田なおこさんが亡くなったと伺って、この本を読みなおしました。
読み直して、ほんとすごいなって、改めて思いました。
障がい者の方が書かれた障がい者の物語だということではなくて、この本が岡田さんそのものだということがすごいなって。
最初に読んだときは、ああ当事者の方が書くって大事だな、ぐらいにしか思っていなかったかも。もちろん、そうか、当事者だとこういう気持ちになるんだ、それがよくわかってすごいとも思いました。
でも今は、いろいろ勉強中の方の原稿とかを読まざるを得ないようになって、いつも思うのは、知ってたからって書けない、当事者だからって書けない、ということです。たとえばご自分の人生をだれかに伝えたいということで書かれる方がいて、たしかにその内容はすばらしいし、こんな事実知らなかったし、ぜひこれを広く人に読んでもらいたいとは切に思いますが、ちゃんと本になる原稿かというと……。
私小説、と人はくくりますが、私小説にも、客観性というのが大事で、たださらけ出せばいいのではなくて、自分をどこかから見ている自分がいて、はじめて成立するんだなと実感する今日この頃です。
岡田さんに初めてお目にかかったのは、日本児童文学者協会の懇親会のときでした。車いすでおいでになっていて、私のことを見て、いろいろ話しかけてくださったのですが、申し訳ないけれどぜんぜんわかりませんでした。まるで外国語のようで。お友達が介助されていて、その方もたぶん作家さんだったのではと記憶しておりますが、「通訳」してくださいました。なんだかそれが申し訳なくて、こちらがわからないのが悪いのにと、すごく緊張した覚えがあります。でも私のとまどいをものともせず、どんどん話しかけてきてくださって、私の作品の感想を言ったりしてくださったのでした。
その姿が岡田なおこさんそのものだとわかるのは、ブログやフェイスブック、ときどきいただくメッセージかメールで、決していい子ではなくて、文句も言うけど、どこかにユーモアがあって笑ってる。大変なときこそおもしろいことを見つけなきゃね、みたいな生きざまを見てからです。
ああ、そうか、これは障がい者が書いたんじゃなくて、岡田なおこさんが書いたんだな、と今ならわかります。その人そのもの。しかし、客観的。なかなかできるものじゃないと思います。
RIP。