『かわらばん屋の娘』(くもん出版)を書くにあたっての想いを、思ったとおり存分に書いていただいていいですよ、という大変ありがたいお言葉に、「報道が許されなかった時代に戻ってはならない」というタイトルで、この本を書いた趣旨を、述べさせていただきました。
この本のご感想で、今まで一番多かったことが「かわらばんというのが幕府から禁止されていたとは、知らなかった」ということでした。
江戸時代には報道の自由などというものはなくて、ついでに言えば、裁判を受ける権利もなければ(争いの裁定を求めるルートはありましたが、権利というものではなく)、投票もできず、行政を縛る行政法もなく、要するにおかみのすることに不服を申し立てることは一切、できなかったんですね。申し立てるには命がけで、その結果、一揆などで、たとえ村人たちは赦されることはあっても、その結果ちょっとおかみが妥協することがあっても、最終的には首謀者は死罪でした。だからそんなことを焚きつけるような報道などあってはならず……。
今ではありえないことですが、これがいつ、どうなって戻ってしまうかわからないと思います。独裁状態ならば、みんながだまっててくれたほうが楽ですから。実際、現代にもそんな国はいっぱいあります。
ですから、事実を報道するということは、その副作用でいろいろ煩わしいこともありますが、基本とっても大事だということを、ぜひ、子どもさんがたに知ってほしいと思います。
まあそういう趣旨のことを書きました。
手元にある方はぜひ、読んでください。