AppleTVでアイザック・アシモフのSF『銀河帝国の興亡』=ファウンデーションが始まったと聞いて、サブスクなんてふだんやっていないのに、それを見たさに入ってしまいました。
もうあれを読んだのは何十年前でしょうか……。中学のころだったのですが、まだ当時はSFなんてエンタメ扱い、学校図書館にも公共図書館にも置いていなかったころで、最初の1巻はたしか父が持っていたのですが、あまりおもしろくないと思ったか、2巻目からは家になかったので、かといって買うだけのお小遣いはなかったので、友だちに借りて(その子のお父さんが持っていらした)読んだのでした。
中身はほとんど忘れていましたが、とにかく画期的だったことはたしかです。スターウォーズの1作目の映画を見たとき、ああ、すごいな、見たかったのはこの世界だなって思ったのですが、やっぱりかけていた部分があって。それは社会的構造の部分でした。
今回映像を見てから、思い出したくて古本を買いました。新訳より、昔読んだままを読みたかったんですよね。
そうしたら、やっぱり複雑なのと、いろいろ隠した書き方をしているので、けっこう難解なんですが、それでも社会構造と経済構造が書いてあって(その代わり人間ドラマは薄かったですが)ああ、自分は中学生でわからないところはすべて読みとばしていたけど、やっぱりその部分はおぼろげながら、理解してたんだなと思いました。当時の自分は世界史もローマ帝国も経済も知らなかったわけですよね。でもわかるものはわかるってことがわかった。
今、自分はどういうわけか、児童文学者になって、小・中学生にわかるように書いているんですが、やっぱりきちんと(できれば習ってなくてもわかるように、という条件でですが)背景を描くことが、習っていない子に対しても礼儀なんじゃないのかなと思う次第です。
この前、『学校図書館』に寄稿したとき、アシモフを読んで科学者になりたいと思って挫折したけど、本当は作家になれればよかったんだ、というエッセイを書いたところです。
まあ、なんにしても五十年ぐらい経って、アシモフの映像を見ることがあろうとは思いませんでした。本を貸してくれた友だちも亡くなってしまったしね。
書き手として読みなおすと(まだ1巻目ですが)、この本は長編と思っていましたが、長編じゃなかったですね。短編連作って感じです。主人公もどんどん変わりますし。ってか、主人公は歴史そのものなんですよね。今はこんな作りでは人は読まないかも。SFというものが珍しいジャンルだったからできた技かもしれません。なんて思いました。
映像のほうは、うん、やっぱり書き手として見ると、やっぱこういう作りになるよな、という感じです。人間ドラマなかったら見られないからね。
蛇足ですが、私が読んだのは冷戦時代、かつ科学の時代だったのですが、今は、ほんとこんな感じに技術が支えとなる原理を失って、単なる秘儀になってる部分があるよね、と思いました。原子力なんてしばらくこのまま使わなかったら、本当に衰退して直せる人もいなくなるでしょう。その点でもすごい発想ですね。私が明らかに覚えているのは、たぶん続編のどこかで女の子が宿題をするのに、口述すると機械がタイプしてくれるシーンだった(うらやましいと思った)のですが、それも今はびっくりしません。追記:私の中学時代にはまだ続編は書かれていなかったんですね。このシーンは、三巻の真ん中へんでした。