著者名:南田幹太
出版社:PHP研究所
好きな場所:それで質問なんですが、実はその前にも大会があったって噂で聞いたことがあるんです。狸ヶ崎クラシックの第ゼロ回大会って呼ばれているらしいんですけど。で、本当にゼロ回大会って、あったんですか
所在ページ:p22
ひとこと:湘南七里ヶ浜に暮らす大和は、六年生。サーフィンのスクールにも通ったことがあり、海岸で友だちとサーフィンをしている人たちを眺めるのを日課にしています。
このあたりには狸ヶ崎クラシックという有名な大会がありますが、それは大変特別な大会で、ビッグウェーブという特別な波があるときにしか開催されません。去年が三十年ぶりの第二回大会だったのですが、大和たちは、三十年前のその第一回大会の前に、第ゼロ回大会というのがあると知っています。そのときに伝説の小学生サーファーがチューブを乗りこなしたという話なのですが。
その小学生サーファーは、いったいだれなのか。
知りたくなった大和たちは引用のように、サーフィンスクールの校長、狸ヶ崎クラシックの実行委員長でもある横山さんに問いただします。
第一回大会は横山の名をとってヨコヤマ・クラシックとも呼ばれている横山さん。第ゼロ回大会のとき、六年生だったといいます。
はたして、伝説の小学生サーファー、湘南のレジェンドはだれだったのでしょう?
せんだって『ぼくの師匠はスーパーロボット』でデビューされたばかりの南田幹太さん。早くも二冊目です。
第18回長編児童文学新人賞の佳作を受賞された「十二歳のレジェンド」を改稿されたものだそうです。
南田さんは、アメリカの大学の大学院を修了され、外資系の金融機関にもお勤めの経験があり、また新聞社にも勤められていたということで、大変異色の児童文学者です。
このお話にも、まったく等身大の外国人が出てきますし、英語の慣用語もいっぱい。それがわざと出したのではない感じが、南田さんの強みです。
湘南という場所は、今は大変ハイカラ。現代の大和の周囲に出てくる大人たちも、サーフィンスクールの先生だったり、カフェのオーナーだったり、
でもこのレジェンドがいた時代には、漁師さんもいれば船大工さんもいて、そんな湘南の歴史がこの物語に厚みを加えていると思います。
アメリカに比べて日本はYAのバリエーションが少ないかも、冊数も地位も低めかも、と思ったりすることがありますが、南田さんのような方がばりばり書いていただければ、ほんと開けていくのではないかと思った本でした。