季節風大会でファンタジー分科会というのを、もう一人の方といっしょに世話人をしていました。7年ほどでしょうか。なので、ファンタジーの生原稿は、まあ読んだ読んだ。
でもいつも言わなければならないことは同じです。
ファンタジーはなんでもありじゃないんです。っていうことです。
↓は、そういう説明するときに、いつも使う図なんですが。
でもファンタジーを書こうと思ったとたんに、人は、なぜか、このどっちもいらない、と思ってしまうみたいですね。
でもでも、ですね。読んでみるとこれが読みにくい読みにくい。
つまりファンタジーを読むときも、読み手は「理屈に合った」ものを求めてるわけです。だから無意識にその理屈を探しながら読むので、理屈に合わないととっても読みにくいし、読み終わっても釈然としないのです。ちゃんと本になっているようなファンタジーは、そのあたりちゃんと配慮してあるので漫然と読んだのでは気が付かないかもしれませんが、生原稿などは読んでみるとほんとうによくわかります。読めないからです。
怪談や、現実にちょっと起きた不思議を描いたものは、基本リアリズムの体裁をとっていますので、これもわかりにくいですが、この図でいえば、限りなく上の方にある、現実にありそうなファンタジーです。なので怪談にしても、お化けが「なぜ出たか」「登場人物がひどいめにあったのは(選ばれたのは)なぜか」などの理屈はちゃんと合うようになっています。もし書かなかったら、きっと編集さんから指摘があることでしょう。
ハイファンタジーは、下の方にある、現実になさそうなファンタジーです。
ですが、だからといって、理屈に合わなくていいということはありません。ちゃんと合っていなければならないのです。しかしその理屈は、読者の知らない理屈です。ですから、ハイファンタジーの場合は「ここはこういう理屈で成り立っている世界ですよ」ということを読者に示さなければならないことになります。
これがわからないハイファンタジーはもうめちゃくちゃになります(ふうっ)
この点でハイファンタジーはノンフィクションや歴史ものと、同じテクニックが必要なのです。つまり、説明しながら(もちろん説明されていると読者が気が付かないように)話を進めるということです。分量的にもその計算をしておかないと、思ったあらすじでは、とっても長いものになってしまうということがよくあります。ハイファンタジーを読みやすくするには、あまり筋を複雑にしないこと、登場人物の数を厳選することがどうしても必要です。