2020年8月24日月曜日

創作TIPS 出口まちがってね?

季節風の編集委員=幹事になって、4回の編集委員会を終わりました。事情で最初の2回はメール参加でしたので、事実上二回目が終わったところです。

まじ疲れた~~土曜日の13時に始まって、終わったのは19時半、休憩なしで正味6時間半です。バーチャルでしたので二倍疲れた。日曜日一日はなにもできず、月曜は残務整理で、これも役に立たず。ほんと疲れます。私だけじゃもちろんなく、みなさんそうだと思います。私なんか甘いぐらいのお忙しい方ばかりですし、頭下がります。

前にも書きましたが、私はリアリズムの人じゃない(どっちかといえばファンタジー、歴史系)ので、任じゃないと思ってずっと編集委員はお断りしていたのですが、デビュー前にお世話になった会、季節風の幹事の数が足りないということで、しかたなくお引き受けしているところです。今もその気持ちは変わらず、編集委員会が終わっても、私が言うべきだったのか言うべきでなかったのかと、発言を自問自答しています。いつでもやめてOK。森川やめろとご遠慮なく言ってください、まじ大歓迎。でも員数になってやるなら、やっぱり言うことは言わなければなりません。

自分が投稿していたときは、落ちたら自分が悪いと思うより、まず選者を恨む気持ちになったものです。正直そう。だから殺害予告したりガソリン撒いたり、とまではいかないと思いますが、かなり恨まれていると思います。

でも、ですね。
選者となったとき、一番言いたいのは、タイトルの「出口まちがってね?」なんです。

だれしも心の中にもやもやしたものがあって、それを出したいと思って何かを書くとおもうんですね。そのとき出口として選ぶのは、自分が一番慣れた形式なんですね。童話が好きでそれに慣れていたら、童話を。SFが好きならSFを。ファンタジーが好きならファンタジーを。現代詩が好きなら現代詩を。童謡が好きなら童謡を。

でも待って……あなたの書きたいものはその形式に合ってる?

大人にしかわからない心情を書くのに童謡でいいの? おどろおどろしい人間の心の闇を描くのに童話でいいの? もちろんそういうことも可能でしょう。アンデルセンの赤い靴とかね。でもあなたの書いているのはそういう童謡、そういう童話? 書くなら出口違いを意識している? それでもあえて書こうと思って書いてる? あえて書くのと、ただ漫然とその形式しか知らないからその形式で書いてるのとは、おのずと結果が違うはずと思います。

イメージを並べて、読者にそのイメージを伝えたいというのなら、物語の形式じゃないほうがいいかもしれない。詩とかね。物語の形式をとってしまうと、読むほうは、じゃあこの人はどんな性格でどんな理由でこんなことをしたのか、その人間関係がどう展開するのか、と問いたくなってしまいます。でも、それがどうでもいいと作者が思っているのなら、物語という出口が本当に適切かどうか考えてみてほしい。そうでないとあなたのイメージは埋もれてしまってもったいない。

あと出口を少ししか知らないと、その出口にしか出せなくなってしまいます。自分の普段絶対読まないような本を読んでみてください。私もそれは苦手ですが、あえて言います。読むのが好きなジャンルの本ばかり読んでいては、出口は限られてしまいます。

昔からよく「自分のことを書け」と言われてきましたが、それはどんなジャンルが得意でも苦手でも自分のことをリアリズムで書くということならできるので、それはとってもけいこになるという意味でいいことだと、改めて思っています。リアリズムで自分のことを書くということは、基本ですよね。それでうまくいかなかったならば、何度も書きましたが、
1 主人公になりきって書く
2 他人の目になって読む
3 主人公が自分に近いときは、客観性を保つ
のどれかが、うまくいっていないときではないかとおもいます。もちろん例外はあるけどですね。

あ、一応言っておきますが、これはすべて私の個人的な見解で、どの会の公式見解でもありません。