ぶっちゃけ創作に関して、人に教えるっていうの苦手です。だいいち創作って、みんなちがってみんないい、みたいな世界ですし。わたしがこうしたらいいのにって思っていても、その人は別のところでブレイクスルーして、わたしより売れるかもしれないんだし。そんなのいっぱい見てます。
今、入っている同人、季節風は、お互い書き手としては同じ立場、という意味で、すごくいごこちがいいです。中には、教えてください~~みたいなスタンスの人もいますが、「先生じゃないし」と教えない。お互い発展途上で、自分も必死で研究してるところ、っていうか悩んでいる最中なんだから、みたいな感じで、それが気持ちよくて気に入っています。
でも、こんな私もときどき、いろいろ考えます。明らかにこうしたらいいのに、どうしてしないんだろ、もったいないなって。確かに、みんなちがってみんないい、にはまちがいないんですけど、でもね。それなりに、あるんです、程度の問題。
最近、「児童文学 なんとかのコツ講座」みたいなのをあちこちから頼まれるようになって、いざ、講義案を作ろうとすると、あれ? なにか言いたいことあったんだけどな、と前に考えたことを忘れちゃうので、思い出したときに、ここに書いておくことにします。ラベル(タグ)は、「創作TIPS」 です。右の下の方、ラベル欄をクリックしてくださると、ずらっと出てくるしくみになっています。でも、見たからっていって、わたしの講座に来なくていいってわけじゃないですからね~~来てください。直に聞いてくれたほうが、真意が伝わることは、まちがいないですから。
で、その第一回。前のエントリーで、「亜野山の落ち武者」という作品が、つくしの会という九州の合評会(今は「童話塾in九州」という名称になっていますが)に出した作品を書きなおしたものだ、という話をしました。
この本です。
それで思い出したTIPSがこれです。
「いつか使えるときがあるかも」
私は最初「河童の会」という勉強会に入っていました。そこには井上明子先生という、70年代から主に小学館やポプラで少女小説をいっぱい出されていた方が、時折ゲストで来てくださっていて、いつもこうおっしゃっていたのです。
「みんな、今のうちに書いておきなさいね。だってね、急に頼まれることがあるでしょ。そのときにゼロから考えるのは大変。なにか書いておけば、それをどうにかすることができるでしょ。だからたくさん書くのよ」
みたいなお話でした。そのころの私は公募に出している真っ最中で、「頼まれることがある」なんて夢のまた夢でしたから、「そうかな~~」みたいに話半分で聞いていたのですが。
でも実際あるのです。使うってわけじゃないけれど、別の話を書いている最中に、あ、あの方向にもっていったらいいじゃない? と思いつく話が、あとから考えたら、前に書いていた話の展開だった、ということが。
公募でだめな作品でも、あとで違う形でなにかになったということは、よくあるんです。
で、あっても書いてすぐ、なにかに使おう、と思わないこと。これ大事。
その物語に固執しないことです。短編で気に入っている作品を長編にしてうまくいくか。それはその内容によります。いくら短編で成功してもマシマシにしたら、味が薄くなっちゃってたいくつなだけ、ということはよくあります。小ネタと大ネタ。質というか種類が違う場合があるのです。それから頼まれるっていっても、求められているジャンルやテイストが違うのに、いくらいいアイデアなのでとごり押ししても、なんかちがうね~~となってしまいます。この話とっても評判いいですから出版してくれませんかと言っても、短編は一冊になりませんと言われたりとか。だから、それがものになるかどうか、そこのところは客観性と判断力が求められます。
であっても。です。固執しない、という条件にしたがう限り、書いておくことは大事です。あくまで固執しないことです。その物語だけをだいじこうじにして、しつこく書き直しているうちに、他のアイデアはどこかに飛んでしまうかもしれません。身につくはずの他のジャンルのスキルも、可能性も、試されずにすんでしまいます。
でも、その物語はあくまで捨てたわけじゃない、と思えば次にいけます。(なお、一つの物語をいろいろな角度で書き直すことは、文章修行には大事だ、というのは別の次元の問題で、これも正しいのです)