2020年4月27日月曜日

ばらの騎士 #わたしのロングセラー

R・シュトラウスの『ばらの騎士』というオペラ。カラヤン指揮のビデオを持っているのですが、今回、コロナ禍でウィーン国立歌劇場が配信していた1994年の録画(カルロス・クライバー指揮)のものを見て、すごくよかったので、このコロナの時期にもかかわらず、思わずDVDを買ってしまいました(通販で)。でも、画質はウィーン国立歌劇場もののほうが(同じ公演ですが)いいのではと思います。また、残念ながらこのDVDの字幕は、英仏西中でした。なお、配信のほうには字幕はありません(同じ演目で違う公演には日本語字幕ありましたが)。ってややこしいですが、買う方のために一応。



さて、このブログでは、ずっと本のご紹介をしてきましたが、べつにブックレビューサイトのつもりじゃないので、たまにはDVDのご紹介もいいかもと。実は昔、私は、「オペレッタ普及委員会」というサイトを持っていて(ザッフィというハンドルネームはそのなごり)、オペレッタのあらすじを書き散らしていたのです。今は、OCNのサーバーの廃止で、サイトは消えてなくなっていますが。

でも久しぶりに、同じように『ばらの騎士』のご紹介をやってみる気になりました。

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オーストリア帝国の女帝、マリア・テレジアの時代に、三十歳ちょっとすぎたぐらいの一人の美人さんがいました。この人は元帥の奥様で、侯爵夫人。

名前はマリー・テレーズといいます。14歳のときに、勉強のために入っていた修道院(今でいえば、寄宿制の女子高みたいなもんでしょうか)から出たばかりのときに、お見合いで結婚させられたのです。

それから17年。だんなさんの元帥は戦に出たり、狩りに行ったりで、マリー・テレーズは、ウィーンの屋敷にほったらかしにされています。だんなさんは、たぶんあちこちで浮気もしてるでしょう。そんなことは、わかってます。それでマリー・テレーズも(たぶん子どもはいません)対抗して、浮気してます。何人目かの相手と、今、ベッドにいるところから、物語は始まります。

ベッドにいたのは、17歳の美青年オクタヴィアン。侯爵の息子で、伯爵の位をもっています。でも家を継ぐお兄ちゃんがいるらしく、たぶん彼には財産はないと推測されます。

オクタヴィアンはマリー・テレーズが大好き。離れたくありません。でもマリー・テレーズはこのような仲の終わりを予感しています。そこへ、田舎から、マリー・テレーズの親族の一人、オックス男爵がやってきます。この人、実は、ME-TOOの権化みたいな人なんです。これに比べたら、マリー・テレーズやオクタヴィアンのやっていることは純愛に思えるぐらい。

オックス男爵は、今度、ウィーンに住むファニナルという人の娘と結婚することにしたのです。ファニナルは、お金持ちでそのお金で貴族の位を手に入れた人なのですが、オックス男爵と結婚することでそれが格上げされることになるわけです。オックスはその手続きにウィーンに来たのですが、帝国の首都の事情がわからないのでマリー・テレーズに助けを求めているわけです。要求は二つ、1婚約のために銀のばらをファニナル家に持っていく騎士を紹介してくれ 2公証人を紹介してくれ。

マリー・テレーズはいいわよと言います。公証人は毎日うちに来てるし、頼めば? ばらの騎士は……そうだ、オクタヴィアンにやらせちゃえ。そのオクタヴィアンは、さっき寝室から逃げ遅れて、メイドのかっこうをしてマリアンデルと名乗り、そこにいます。そのオクタヴィアンにも色目をつかって、いっしょに食事しない? とさそうオックス男爵はほんとにME-TOOの権化なんですが、これがあとでとんでもないことに……ふふふ。

さて、オクタヴィアンは、ばらの騎士として、ファニナル家に向かいます。そこで初めて、オックス男爵の婚約者になるゾフィーという子に会います。それが、まあかわいい。かわいいだけじゃなくて、なかなかしっかりしてて、言うことは言う。オクタヴィアンは惚れてしまいました。

でも、オクタヴィアンは、婚約の使いのばらの騎士として来たのです。人と婚約する女性を好きになってはいけません。ですが、ですが……このオックス、筋金入りのME-TOOでファニナル家を身分が低いとなめてかかっているうえに、ゾフィーはもらってやるという態度で、オックス男爵の使用人さえも主人を見習ってやりたい放題。オクタヴィアンはついにたまりかねて、剣を抜き、オックスを傷つけてしまいます。オックスは軽いけがですみますが大騒ぎ。オクタヴィアンはファニナルに叱られて退場。

でもただ引き下がったわけではありませんでした。ちょっとしたしかけを残していました。メイドのマリアンデルの名前でオックスを呼び出していたのでした。

のこのこ居酒屋にやってきたオックス。オクタヴィアンは居酒屋の主人に言いつけて仕込みをしています。オックスがオクタヴィアン(が女装したマリアンデル)を口説いている最中に、その仕掛けが発動。お化けが出てくるわ、子連れの女性がやってきてこの子たちはあなたの子ですと言うわ、警察署の署長がくるわ、ファニナル父娘がくるわ。こんな男にいくらなんでも娘はやれないとファニナルが卒倒しそうになる大騒ぎの最中に、マリー・テレーズ登場。みんなはははーっとひれふします(設定がただの元帥夫人じゃない、王族みたいな人だからこそと思いますが)。

なにしに来たの、マリー・テレーズ? とオクタヴィアン。それでゾフィーははっと気が付きます、ああ、この二人こういう関係だったのねと。それではオックスからは逃れられてもオクタヴィアンは得られない。がっかりしたゾフィーと、当惑するオクタヴィアンに、マリー・テレーズは二人でお話しなさいと。その時がきたのだとわかっていたのだと。二人はマリー・テレーズに遠慮しながらも、ありがとうと言って、幸せな未来を語るのでした。

いいよね~~というか。これって浮気の話というよりも、息子を持つ母親の普遍的な気持ちじゃないんでしょうかね。普遍的な部分があるからこそ、長く共感を呼んでいるんだと思います。
マリー・テレーズが一幕で、髪結い師に「今日はわたしをおばあさんにしたわね」というところとか、銀のばらを見て「私もこれをもらったときがあった」と自分の結婚をふりかえるところとか。それから、時は止められない、時によって人は変わるもので、握りしめようとしてはだめ、指の間からこぼれおちるのだからと(はなはだ意訳)語るところとか、とてもわかる。台本を書いたときの作家ホフマンスタールは、若かったはず(少なくとも私より)なのにどうしてそんなことがわかるのかふしぎです。

言いそびれましたが、オクタヴィアンは女性のメゾソプラノ歌手が男装して(メイドのときは女装して)やるというもので、見ているほうは、これは女性だけど、男性だけど、女性、と頭の中で考えながら見るので、お芝居としても二重構造で魅力があります(もちろん他にもそういう芝居はありますので珍しいものではないのですけれども)。

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ちなみに一応創作日記ですので、創作メモ
・時代はマリア・テレジアだけど、ワルツが出てきて時代が違う。批判されたけど作曲家はしらんぷり。
・作家は、オックスはただ下品なやつではないと考えていたらしい。田舎貴族で、それなりに誇りを持っているが、ただ自分の価値を間違って認識していたっていう感じでしょうね。マリー・テレーズのセリフにもそういうのがあったような。
・銀のばらを婚約に騎士がもっていくという慣習はなかった(創作=うそっぱち)。でも考えるとこのギミックはすごい。オクタヴィアンとゾフィーの出会いが自然になるし、その出会いにマリー・テレーズがかんでいることで、オクタヴィアンが悪い奴にならないですんでいる。