書名:むこう岸
著者名:安田夏菜
出版社:講談社
好きな場所:「そうだね」と、あたしは真正面から斉藤を見かえした。
怒りだかみじめさだか、よくわかんないなにかが頭の中で沸騰している。
「うちらは、みなさんに養ってもらってるんですよね。どうも、ありがとうございます」
所在ページ:p42
ひとこと:わたしども「季節風」では「覚悟をもって書け」というのが、合い言葉みたいになっているのですが、同人の安田さんの新作は、意欲作で、覚悟をもって書かれたと伺っております。
中学三年の男子、和真は有名私立中学校に進学したものの、おちこぼれて公立に転校してきます。そこで樹希という女子と同じクラスになります。樹希の父は自殺し、母はパニック障害で働けず、生活保護を受けながら暮らしています。
この二人の接点は「カフェ・居場所」という店で、そこで和真はアベルという中学生だけれどてんで勉強のできない子に算数を教えることになります。アベルもわけありです。
そのうち、和真は樹希が高校までしか行けないということを聞き、そんなはずがあるのかと疑問に思い調べ始めますが……。
私のうちもそれなりに貧乏で、当時の育英会奨学金には成績基準と収入基準があり、両方満たさねばならず、つまりもらってるっていうことは貧乏ということでもあり、しかも現金支給だったので、ハンコ持って取りに行かねばならず、恥ずかしかったです。無利子なだけでちゃんと返すんだから、恥じることはないと父は言いましたが、やっぱりいやでした。
それでも、当時は道があったのです。小学校だって中学校だって塾に行かなくても学校でちゃんと漢字、九九、割り算、分数、代数とみっちり基本的なことは教えてくれましたし、高校はほとんど予備校と同じかそれ以上に受験指導してくれました。大学も国立ならば年間授業料が十万円以下でした。
もっと昔は師範学校に行けば学費タダだった時代もあったわけで、それが理由で先生になった方も多かったと聞きます。
昔はよかったと言うつもりはありませんが、貧乏でもそれなりに道があるということだけは、とってもよかったと思います。
今はほんとうに大変だと思います。
やらなければならないことが、たくさんありすぎて、学校もみっちりなんてやっていられないのでしょう。分数の計算ができない子がいっぱいいるし、九九もいきあたりばったりでよく覚えていない子がそのまま積み残して高校生になっていると聞きます。高校では基本的に受験指導はしないことになっているので、昼間はたれーっとひまつぶしのように授業を受けて、別途お金を出して眠い目をこすりながら予備校に通っています。
今は国立大学も相当学費が高いです。じゃあ、奨学金はだれでも借りられるので、そうすればいいじゃないか、と思いがちですが、それもよく考えれば利子を含めて返すのは大変です。
貧乏な子はそれきりなのか、なにか道はないのか、あるはずじゃないのか、という作者安田さんの焦燥感が、この本を書かせたのではないかと思います。
児童書でありながら、大人の本の売り場にあることもあるのだとか。生活保護についてもですが、教育とはどうあるべきかも、考えるきっかけになりそうです。