2014年12月12日金曜日

「東京駅をつくった男」大塚菜生 

書名: 東京駅をつくった男
著者名: 大塚菜生
出版社: くもん出版
好きな場所: べトンの中では鉄がさびるおそれがある。使用は最小限にし、骨組みをした鉄を芯にして、れんがを積みあげることに決めたのだ。
所在ページ: p121
ひとこと:東京駅は長いこと工事をしていたのですが、さきごろやっとその復元(もともとに戻すので復原というのだそうですが)された姿を見せて、人気の観光スポットになりました。プロジェクションマッピングもされて、あまりの人気に人が集まりすぎてあぶないと、中止になったことがあるぐらいです。
 その際に、ドームの内装もテレビなどで繰り返し紹介され、しっくいのレリーフの干支など、日本のよさを生かした繊細な飾りについてわたしどもの知るところになりました。その時にはじめて、辰野金吾という建築家の名前を覚えたのでしたが。

 ですが、私にはなぜか、東京駅のような建築は昔はよくあったんだろうなあという感覚しかありませんでした。その理由が、この本を読んでわかったのです。

 赤レンガの角を白い花崗岩でふちどったようなあのデザインは、色のはなやかな赤レンガを使いながらも強度をもたせるためで、辰野金吾の設計の特徴だったこと、そしてなぜわたしが珍しいと思わなかったかというと、私の育った大分市には、辰野金吾設計の赤レンガの建物があったからだったのです。それは第二十三銀行本店で、のち大分銀行の本店となって、そののち大分銀行が近代的な本店を建築してそこに移ってからは、一時、貸ビルとして運営されていました。中に入ったこともあります。小学六年のとき、私は日曜テストというのを受けに通っていましたが、それがこの中の会議室であったのでした。なるほど、だからだったんですね。
 
 http://www.saikikensetsu.co.jp/modules/works/index.php/pages/detail/299

 大塚菜生さんは、九州在住の作家さんですが、唐津や東京や文献と、長期間にわたる大変念入りな取材によって、九州は唐津の出身であった辰野金吾が、どうやって明治維新をすごし、そして東京に出てきたのか、どうやって学資をえて、どうやってロンドンに留学してその留学生時代をすごしたのか、などから説き起こして、金吾の考えや人柄を明らかにしてゆかれます。昔は立身出世を望むのはあたりまえで「身を立て名をあげやよはげめよ」という感じでしたが、今のお子さん方にそのことを説明するのは大変むずかしいところ、著者は金吾の身になって、わかりやすい日常の会話をまぜながら、物語を進めてゆかれます。

 そして、さらに難しいのは、金吾が建築家になってからのもろもろの仕事上の葛藤などについて素人にもわかりやすく説明することですが、それもこの本では何の建築学上の予備知識がなくても頭にスッと入ってきます。

 引用は、当時先端で主流となりつつあった建築資材べトン(コンクリ―ト)を使おうという提案を金吾が拒否し、赤レンガと花崗岩でゆこうと決めるところです。最近では鉄筋がさびるということはコンクリート造りの一番の欠点であるということは、だれでも知っていることですが、この技術がではじめたころにその潮流に乗らずに拒否するということはなかなか大変なことだったのではないのかと思います。頑固で慎重、一徹な人柄ゆえだと、そのこともこの本を読んでわかります。

 東京駅の美しさに目をみはったら、ぜひ次はこの本を読んでいただきたいなあと思います。