2013年9月25日水曜日

書名:単純な脳、複雑な「私」
著者名: 池谷裕二
出版社: 講談社ブルーバックス
好きな場所:実験で得られた順番を説明すると、手を動かすための「準備」がまず始まる。そして準備が整って、いよいよ動かせるぞとなったときに、私たちの心に「動かそう」という意識が生まれる。つまり「動かそう」と思ったときには、すでに脳は動くつもりでいて、とっくに準備を始めたということだ。これがひとつのポイント。
 もうひとつのポイントは、この後にもある。手に「指令」が行って実際に動くのと、「動いた」と感じるのはどちらが先かという問題だ。
 実は、これも常識とは逆で、「動いた」と先に感じる。
所在ページ: p276
ひとこと:前に同じ本が朝日出版社からソフトカバーでてていました。そのときもたしか本の紹介に書いたとおもいますが、それがブルーバックスになりました。

 この本は、先日、ブルーバックス50周年記念で、講演会(有料)があったのでそのときうかがってブルーバックス版がお土産についていたのでいただいてきたものです。本当は前の本も持っていいたのでいらなかったのですが、講演が聞きたかったので行ってしまいました。そしてブルーバックス版を再読したというわけです。

 再読しても(若干改訂はあったそうですが)、本当にこの本はよくできています。いっぱい示唆されるところがあります。
 つまり引用のところが本当ならば「私はこれこれの理由でこうするのだ」と人(自分自身を含め)がいうのははっきりいって「ウソ」、よくいっても「後付」ということになります。
 講演会でも池谷先生は「意識は飾りにすぎない」ときっぱりおっしゃいました。この本でも人は実は不自由で、人のできること(自由)は無意識の決めたことをしないと決定することしかないのだとも。社会科学でいう拒否権、Vitoに似ていますね。
 でもこれは意外に実際の経験と一致します。
 そこを物語を書く者ならば本人(自分を含む)の無意識にあるなにかにたどり着かなければならないのだということでもあります。でも書いているうちに思わぬことを書き始めたとき、それが真実だというのは、よくあることです。難しいけれど私たちはなんとかそこまで行き着かなければなりません。