2011年9月4日日曜日

ぼくらは闘牛小学生!

書名:ぼくらは闘牛小学生!
著者名:堀米薫
出版社:佼成出版社
好きな場所:牛が隊列を組むためには、隊列を引っぱってゆく牛が必要です。それも、その場ですぐに決めなければなりませんでした。
「よし、先頭はこの牛にしよう。つぎはあの牛だ」
牛持ちたちは、勢子としてきたえた目で、牛の上下関係を見ぬくと、素早く隊列を組ませてゆきました。

所在ページ: p90
ひとこと:「牛太郎、ぼくもやったるぜ!」(佼成出版)でデビューされた堀米薫さんが、こんどはまた牛太郎、でも今度はノンフィクション、今度の牛太郎は新潟の小学校(!)に飼われている闘牛です。うさぎや鶏ならともかく、闘牛を飼っている小学校というのも珍しいですが、著者堀米さんは、農学の修士号も持たれる農家のおかみさんでもあり、数百頭の牛を飼っておられることもあって、この本の牛に関する描写は、前回の「牛太郎、ぼくもやったるぜ!」のときと同じく、半端ではありません。

そのうえ、この新潟の小学校は、あの中越地震によって全村退去を余儀なくされた小千谷市の東山地区にあり、かたや著者堀米さんも今度の東日本大震災で被災されています。
引用は、村に残してきた牛を、長岡市の家畜市場を行き先として借り受け、救出に行ったシーンです。
たしかにノンフィクションは相手の経験を聞いて書くものではありましょうが、ひとくちに牛を移動させるといっても、どのようなことが必要か、自ら経験し分かった人でなければ、相手の言っていることを本当に聞き出すことは難しいと思います。
地震のシーンもそうです。運転中の先生の自動車が横ゆれし、ハンドルを取られそうになるところなど、今度の東日本大震災で買い物途中で、お嬢さんをお連れになって命からがら津波に襲われる地区から脱出された堀米さんならではの着眼点で書かれており、細部に静かな迫力があります。

さて、この東山地区では、震災後、復興に向けて必死で努力するなか、伝統行事である闘牛を再開するか、議論がされました。
自分たちの生活だってたいへんだ、生活を立て直すのが先だという意見と、こんな苦しいときだからこそなんとしてももう一度闘牛をやるのだ、という意見が当然のことながら、対立し、結局、闘牛は再開されます。その大人のエネルギーが、子どもたちをはげまします。

私が好きだったのは、地震で割れた石が、牛に似ているということで、それに面綱をかけるシーンです。
こんな巨大な面綱は、横綱のなわないを見てもわかるとおり、なうのも大変だし、運ぶのもかけるのも大変だし、お金もそれなりに必要でいったいどうしたのだろうと心配もされます。でも、これはこの地区にとって、本当に必要な大事なことだったのだろうと思うのです。

東山小学校の子どもたちが、牛太郎にはげまされたように、たくさんの東日本の子どもたちも、この本できっとはげまされることでしょう。