2010年11月8日月曜日

日本児童文学2010年11-12月号

書名:日本児童文学2010年11-12月号
著者名:日本児童文学者協会
出版社:小峰書店
引用場所:「ななのおへそ」(森川成美)がユニーク。五才のななにはおへそをいじる癖があり、それに屁理屈をよく言い、生まれた妹を見てもかわいいと思わない。そういうななと家族とのやりとりを淡々と描きながら、結局私のおへそは「私のものだ」と、おへそをいじる主人公に喝采したくなるから不思議だ。
所在ページ:115
ひとこと:なんだか最近ちょっとへこんでいるので、こういうのを見るとちょっとうるうるしてしまいます。全くの他人の方が読んでくださって、感想を書いてくださる、しかも激戦区の季節風の中でも取り上げてくださったなんて。こういうことがあると、よし、まだ書いて行けるかもと思います。

あと企画の「賢治を書こう」は採用になりませんでしたが、私の応募した短編「浅草オペラ幻想」を西山利佳さんが選考評に取り上げてくださっておりました。これもうるうる。ほんとだれかがわかってくださるとは思えなかったのですが「時代考証的にはあったかもしれないある日の賢治の浅草道楽(?)に、賢治の人間くささを感じました」(p71)とあり、ほんと、そうよそうなのよわたしのいいたかったのは、とうれしかった。

 賢治がいわゆるペラゴロだったことは、オペレッタ好きにはけっこう知られていることです。と言っても私は人に教えていただいただけですが。
 「函館春夜光景」という詩に「そこに喜歌劇オルフィウス風の、赤い酒精を照明し」とか「あはれマドロス田谷力三は、ひとりセビラの床屋を唱ひ、高田正夫はその一党と、紙の服着てタンゴを踊る」などとあるので、そう思われているわけで。
 が、果たしていつ、どの時期にどのプログラムを見たのだろう、と賢治の書簡集と、浅草オペラの文献を照らし合わせて調べてみましたら、きっとこれだろうと思うものがありました。なぜなら、浅草オペラというものの興隆期は意外に短く、また賢治の上京時期も限られていたからです。そして、この前高田に行ったとき見た、オペラハウスばりの二階のある現存最古の風情のある映画館を思いうかべると、こんな光景が頭に立ち上がってきたのでした。賢治はさらに後で、オケのメンバーにチェロを習っていますし。
 でもこれってただのマニアの幻想かなあと思ったら、ちゃんと読みとってくださった方がおられた。これだけでも、つたないながら書いてゆく気になりました。

うるうるの今号でした。

私のその短編「浅草オペラ幻想」は、きっとマニアしか読まないだろうしこれからも何にもならないだろうけど、私のHP「オペレッタ普及委員会」にアップ↓します。浅草オペラのことを教えてくださったBe-Yangさんありがとうの気持ちです……

http://www12.ocn.ne.jp/~ideale/asakusa.htm