2016年12月5日月曜日

「虐殺器官」伊藤計劃

書名:虐殺器官
著者名:伊藤計劃
出版社:早川書房
好きな場所:戦争という巨大な「流通」において、「戦闘という仕事」そのものは、必要不可欠ではあるが膨大な業務の中のごく小さい一部にすぎない。武器がなければ戦うこともできないし、食料がなければ戦い「続ける」ことはできない。情報がなければ戦闘そのものが始められない。そういうわけで、民間軍事企業が相互に依存する細かい業種ごとに別れ、ごくごくつまらない経済流通の一部に完全に組み込まれてしまった時点で、民間の軍事力がG9の政府を武力で脅かすような未来像は説得力を失ってしまった。
所在ページ:p284
ひとこと:いやあ、おもしろかった。このブログにはあまり自分の趣味で読んだ本は書かないのですが、でもこれはおもしろかった。
 いろいろな評を読んでみると、最初小松左京さんは「文章力や「虐殺の言語」のアイデアは良かった。ただ肝心の「虐殺の言語」とは何なのかについてもっと触れて欲しかったし、虐殺行為を引き起こしている男の動機や主人公のラストの行動などにおいて説得力、テーマ性に欠けていた。」と選評されたそうですが、たしかにそういう面もあります(だいたい選者って、言いたいこと言いますし 笑)。それから、一般の感想なんかにも「ラノベじゃん」というのもある。
 だけどと思います。この引用のようにロジスティックスのことを分析して書いた戦争というのを、ラノベが書き切れるかというと無理。ラノベは嫌いじゃないけどね。どういう契機で戦争が起こり、どのようにして継続されるのか。それを描かないでただのバトルを描いた作品が、たくさんありすぎ(少なくとも合評なんかではね)る中でこの引用は画期的。
 ほんとよく書けてる。たしかに欠点を突くことはできるけれど、いざ書こうと思ってみるとなかなかできるもんじゃないって、知ってる。こんな本があるのだったら、もう自分が書くのなんていやになっちゃう。と思いながら自分の書いた原稿をなめるように読み返す(そういうことをするときは、なにか自分のいいところを見つけたいときです)わけです。
 でも、と思います。近未来のディストピア、という点では、私はカズオ・イシグロのほうが好きだな。なぜかといえば、基本に楽観性があるから。ディストピアを描きながら、そんなわけないでしょ、ね、っていう。私もどっちかといえば、そういう本を書きたいと思います。