2016年7月28日木曜日

「おだまり、ローズ」ロジーナ・ハリソン

書名:おだまり、ローズ
著者名:ロジーナ・ハリソン
出版社:白水社
好きな場所:世間の人々の困ったところは、他人にどう思われるかを気に病みすぎることです。なぜそうなってしまうかというと、自分以外の人間が何を考え、何をしているかを気にしてばかりいるから。他人のことは放っておけば、相手もあなたを放っておいてくれるはずです。そして、それは問題のスケールが大きくなっても同じです。人はなぜ、他人が不運に見舞われると、いい気味だとほくそ笑むのでしょう? なぜ他人の破滅を喜ぶのでしょう? 自分は自分、人は人と割切ることができないから。それに尽きます。
所在ページ:p241
ひとこと:いやあ、ひさびさにあっという間に読んでしまう本に出会いました。この『おだまり、ローズ』は、イギリス下院の最初の女性議員だったナンシー・アスター(レディ・アスター)のメイドだったイギリス女性の回想録です。

 ナンシー・アスターという方は存じ上げませんでしたが、先般辞任したばかりのキャメロン元首相の奥さんのお母さんが後妻として嫁いだのが、このナンシー・アスターの息子さんだとか。ナンシー・アスターの旦那さんのウォルドルフ・アスターは、あのウォルドルフ・アストリアというニューヨークの超高級ホテルの持ち主だった一族の出身で、イギリスで子爵となり、下院議員から上院議員になって、またプリマス市の市長だった人らしいです。大変おもしろい点は、旦那さんもつまり元々はアメリカ人なだけでなく、奥さんのナンシー・アスターもアメリカ南部の出身の人だということです。

 一方、この本の語り手ロジーナ(ローズ)のほうは貴族のご主人夫妻とはちがって、労働者階級であるものの、生粋のイギリス人。元々は田舎の村の育ちですが、職を決めるにあたって「外国に旅行したい」という希望を持ちます。
 家族というか彼女のおかあさんは、ここがおもしろいところですが、それなら屋敷勤めがいい、外国につれていってもらえるからと言い、どうせならばちゃんとフランス語と婦人服の仕立てを習得して、お付きメイドになるのがいい、と言って、費用をかけてフランス語と仕立てを習わせてくれるのです。そして、まずはお付きメイドの妹版ともいえる令嬢付きメイドの口を探してきてくれます。それもおかあさん自身にメイドとしての職業経験があったからこそのアドバイスなのですが「○○になるには」といった職業訓練ルートが当時にあったこと、それに庶民がそれなりの費用をかけていたことが、おもしろいです。

 さて、ローズはまず令嬢メイドになり、奥様のメイドにもなったところで、昇給を考えて格落ちにはなるもののアスター家の令嬢メイドに転職します。ところが諸般の事情から、仲間内であまり評判のよくなかった奥様、ナンシー・アスターのメイドにならざるを得なくなるのです。このあたりも、とってもおもしろいのですが、さてこの評判のあまりよくない奥様、ナンシー・アスターはやっぱりとんでもない人で、ローズはいったんノイローゼになりかけます。しかし、ふと思い直し、奥様に口答えをするようになるのです。イギリス人らしい皮肉とユーモアをこめて。そして、奥様との仲はそれからなぜか改善し、奥様が亡くなるまで35年続いたのでした。

 いやあ、それにしてもこの本からわかるナンシー・アスターの性格といえば、まさに『風と共に去りぬ』のスカーレットです。彼女のメイドの扱いも、たぶん伝統的なイギリスの奥様のメイドの扱いとは違い、南部の伝統のものなのではと思います。自分の身をいとわぬ働き方も、戦争中にプリマスの病院でみせた彼女の患者への思いやりも、まさに風と共に去りぬのスカーレット(でなければ彼女の周囲の南部婦人)そのもの。たぶん彼女はイギリスに住まい、イギリスの貴族、政治家としてふるまいながらも、南北戦争期のアメリカ南部を生きていた。人の生まれ育ちというのは、根深いなあとおもいます。それに合わせてついていったこの主人公ローズは、イギリス人らしく自分というもの、引用のように人に流されない確固たる自分の意見というもののある人でした。この人と人と、文化と文化のぶつかりあいが、この本の一番の醍醐味だと思います。

 もうひとつの醍醐味はこの本に出てくるベテラン執事のリーという人に表されるお屋敷のバックステージのシステムと文化。この人は、カズオ・イシグロの『日の名残』の主人公を思わせる、とよく言われているようですが、カズオ・イシグロが、自分は同じテーマを舞台を変えて四度(?)書いた、それは最初に書いた『遠い山なみの光』と同じく、時代が変わっても変わら(れ?)なかった人間だ、というようなことを言っていたように思いますが、それを思うと、その変わらなかった人間をお屋敷のバックステージを舞台に描いたのが『日の名残』だとすれば、おそらくカズオ・イシグロはこの本を参考にして描いたにちがいないと思います。
 何かを書く人間からすれば、作家がどう発想して舞台をどう持ってくるか、その資料をどう使うかなどを考えると、本書は非常に参考になるものだと思います。

 なお、いろいろググってみますと、このローズさんは、ずいぶん前1976年にBBCラジオのインタビュー番組に出たことがあるみたいで、BBCはすごいのでただでWEBで聞かれます。デザートアイランドディスクという番組で、私など聞いてもざっとしかわかりませんが、自分が無人島に持って行きたい音源などを紹介するもののようです。東洋風のミュージカルや、フィレンツェが舞台のジャン二スキッキなんかが紹介されているところを見ると、ほんと旅がしたくて、メイドになったというの、わかるような気がします。
ローズさんの生声は、こちらです。
http://www.bbc.co.uk/programmes/p009n0x5