2015年12月18日金曜日

お祝い会終了

 同人「季節風」で、最近デビューされた方お三人の合同お祝会が終わりました。
 お手伝いくださった方々、ありがとうございました。
 そして主役の方がた、ますますのご健筆をおいのりしております。

 もちろん主催は季節風ではなくて発起人会で、私も一応発起人の一人として働きましたが、季節風は毎年何人もデビューされている同人なので、他の発起人も、手伝ってくださる方も手慣れていて、なんでもぱっぱと決まってしまって、お願いすればどんどん手伝ってくださるし、すごいと思いました。

 なぜそんなにデビューがあるのかと思うに、創作で大事なことに「お祝い会に出る」とか「お祝い会のお手伝いをする」なんてこともあるんじゃないか、と。

 お祝い会というのは、もちろんおめでとうございますということを、ご本人にお伝えしてみんなで応援の気持ちを表すということです。だから、ご本人のためであって、出席者の創作活動には、何も関係ない、という考えが普通かもしれません。

 でも実際、幹事をしたり、お手伝いをしたりすると、次はなぜかその方がデビューしたりするのです。もちろん、偶然かもしれませんし、デビューしたいという意識の高い方がひきうけてくださるというのもあるかもしれません。

 でも せんだって、ここに書いた『意識は傍観者である』(早川書房)と言う本には、意識に上る前に、人はもういろいろ脳内会議のようなものをすませている、「こう考える」というのはただその会議の結果にすぎない、ということが書いてありました。

 ひょっとしたら、お祝い会のような場に出るということが、その人の脳内のどこかに働きかけているのではないのかなと。

 そういえば、私も、ぜんぜん本気で創作をする気がなかった(と意識では思っていた)ころ、BBSで知り合いになった作家さん(高橋うららさんですが)にさそわれて、授賞式に行きました。そのとき、来ておられた大先輩の作家さん(井上明子先生ですが)が「こういうところに出るということがね、勉強になるのよ」とおっしゃったのでした。とはいえ、当方は、身のおきどころのない気持ちでいちばん出口に近いテーブルで、こそこそっと食事をしながら、だって、今はそんなに本気で書くつもりなんかないんだし、面識もない方へのおめでとうを聞いたって勉強になるわけなんかない、と思っていたのですが、数年後、同じ授賞式に出ていたのでしたっけ。

 そういうことありますので、もしお祝い会にさそわれたら、カンケーない、場違いだ、などと思わずに、まだ意識に上っていない自分の脳をプロデュースされるつもりで、積極的に参加されるのも、ありかなと思います。

 たまには創作日誌らしい記述ということで。