2015年11月26日木曜日

「意識は傍観者である」デイヴィッド・イーグルマン 早川書房

書名:意識は傍観者である
著者名:デイヴィッド・イーグルマン
出版社:早川書房
好きな場所:「手をたたきましたか?」と訊かれると、たたいたと答える。音が聞こえなかったことを指摘され、もう一度やってと言われると、何もやらないかもしれない。理由を訊かれると「やる気がしない」と言う。
所在ページ:P183
ひとこと:某大学の生協に積んであったのを見て、買いました。おもしろかった。これが最新の脳科学ですか。この本は解説が良いのか、訳がよいのか、素人でも、わかりやすかったです。
 私たちが「考えて」いると思っていることや、清明だと思っている「意識」がいかに危ういかがわかります。
 引用は、疾病失認と呼ばれるもので、うそをついているのではないのに、機能的にできないことを「やらない」または「やっている」と思う現象でそれは脳が一貫性のある説明をでっちあげているからだということです。
 よく、人の言うことではなく、していることを見ろと言われますが、そのとおりですね。言うことはあてにはなりません。行為こそが語る。でもそれが、人だけでなくて、自分もとなると大変です(笑)。では、自分の何を信じたらいいのか。
 たぶん、下手な考え休むに似たり、というのが正しいのかも。
 自分はちゃんと答えを出していて、意識に上っていないだけだと思えれば、上がってくるのを待っているか、じゃましている意識をちょっとどかせばいいんですよね。
 そういえば、物語を書くときもいっしょです。どこかで四六時中考えていることが、上ってくるのを待っているわけですけど。書いてしまってから、どういう意味? と考えて、一貫性があるように整えているみたいな気がします。