2015年10月18日日曜日

「あの花火は消えない」森島いずみ

書名:あの花火は消えない
著者名:森島いずみ
出版社:偕成社
好きな場所:透子。花は、死んだのでしょうか。枯れてしまったけれど、花はかあさんの中で、ずっと生きつづけます。死ぬことはもしかしたら生き続けることと、同じかもしれませんね。
所在ページ:P138
ひとこと:『パンプキン・ロード』で、第20回小川未明文学賞の大賞を受賞されてデビューされた森島いずみさんの二作目のご本です。

 
 主人公の透子は小学生です。大阪に住んでいましたが、母の病気のために、一人で若狭の母の実家に預けられます。祖父母はそこで福田屋という日用品の店を営んでいるのですが、そこへ、ぱんちゃんという人が、施設の職員、島崎に伴われて現れます。福田屋の離れに住まうことになったのです。
 自閉症の二十五歳の青年です。自閉症のせいで食べられるものに偏りのあるぱんちゃんは、ほとんどパンしか食べません。ごはんも食べるときがあるのですが、それは施設から連れてきたポンちゃんというチャボの産んだ卵をかけたときだけなのでした。
 ぱんちゃんは絵がうまく、島崎はなんとかその才能を伸ばしてやれないかと考え、施設から出して下宿させたのでした。
 透子は、学校でうまくゆかず、そのせいかぱんちゃんと親しくなります。ぱんちゃんの大事なポンちゃんが猫にやられて死に、透子は猫に復讐してみたり、生き返らそうと宇宙人に頼んだりします。おかげで大騒動になったりしますが、突然ポンちゃんは生き返ります。実は、友だちがどこかで買ってきてくれた(そしておじいちゃんがお金を出した)違うチャボなのですが、透子は知りません。
 
 引用は、闘病中の母からの手紙です。
 
 

 森島さんは、福島県に住んでおられたのですが、原発事故の影響で現在は山梨県に住まわれています。
 この作品は、地震とはまったく関係のないお話です。しかし、地震に関係ないとは言えません。地震によって多くの人に突然突きつけられた問題と、その答えを描いているからです。
 人にとって、身近な人の死とはどういうことなのか。生き返ることは絶対ないけれども、復讐したって何の意味もないけれども、でも死んだとしても人は生きているのだということです。
 死んでも記憶の中に生きているというのは、確かによく言われることですが、このおかあさんの言葉「死ぬことは生き続けること」というのは、同じようでいて、ちょっと違うと私は思います。
 記憶の中に生きている、というのは「死んでも忘れないでいる」ということですが、「死ぬことは生き続けること」というのは「死んでいない」ということなのだと思います。
 そもそも、人というのはそういうもので、たしかに個々の生き死には大事で、生命も大事なのですが、それとは別次元の継続が人にとって別途とても大事なものでもあるのです。それをつながりとか友情とか愛とかいう人もあると思いますし、歴史とか文化とか発展とかいう人もいると思いますが、そういうものとも、またちょっと感じの異なるものだと思います。うまく言えませんが、そもそも人とはそういうものだ、ということです。
 死んでも生きている、という感覚を命の大事さということと同時に得て、だからこそ自分の問題として自分はいっしょうけんめい生きるのだということを子どもにわかってほしいと思います。