2014年5月18日日曜日

『書いては書き直し』ニール・サイモン

書名:書いては書き直し
著者名: ニール・サイモン
出版社: 早川書房
好きな場所: だが、どんなに台詞が面白くても、それが芝居を先へと動かしていかなければ、ただの面白い台詞でおわってしまうことがわかってきた。観客の興味をひきつけるのは、何をおいても、ストーリーのなかで登場人物に何が起きるかなのだ。

所在ページ: p196
ひとこと:ここに書くのだけでも二回目ぐらいなほど、わたしはこの本が好きです。ニール・サイモンは劇作家ですけれど、作品はお芝居でなくても映画でも見られます。わたしは全部見たわけじゃありませんが、『グッバイガール』も『おかしな二人』も『第二章』も好きです。こんなハートフルなコメディではなくてひりひり系の『ヨンカーズ物語』も『ブロードウェイバウンド』も好きです。ブロードウェイバウンドの登場人物の出しかたは、ほんとすばらしく、一人づつだれがどういう人でどういう状況にあるのかをはっきりとわかるように出しながらも、その人の説明だけじゃなくってちゃんと筋が進んでいて、作品を書くときに、いつもあーあれでなくっちゃと思いだします(が、うまくゆきません 笑)

あさのさんも後藤さんもそうですが、きめゼリフの上手な作家さんは、肝になることを、思い出しやすいようなことばで言ってくださるような気がします。季節風でも、後藤さんはこういった、あさのさんはこういったとみんな言いますが、実は聞いてみれば個人的に話した回数はみんなそんなにないのですが、でも書きながら「ああ言ってらしたな」というのが思い出されるし、そしてそれがとっても役に立つ。

この本もそうで、ずいぶん前に読んだのですが、なにかあるたびに読み直します。そのたびにぐっとくるところが違うわけですが。

今ぐっときているのは(先週とはちがって 笑)この部分です。『おかしな二人』を上演中に、何度も書き直しながらやっているときの話です。(そのなかには、書き直されると、旧版を上演しながら、新版をけいこしなければならなくて、それならもういっそちゃんとけいこできてなくても新版を上演したほうがいいということになったら、ウォルター・マッソーが中途はんぱじゃやらない(新版を)と大反対した、なんて興味深いエピソードも入っています。)

引用はどういうところかというと、映画にもでてくるちょっとずれた姉妹(ピジョン姉妹)がおもしろいから、ずっと出せ、ということになって、書き直してみたけれど、おかしいはずなのに観客が納得していないようすだという文脈です。台詞=ディテール、観客=読者とおきかえてみるとよくわかるような気がします。書いているほうはいろいろ工夫しているのですが、結局みんなが知りたいのは登場人物の運命なんだなあと。もちろんそれだけじゃないんですが。前にも、合評で議論になったことがあって、割と書いているほうは、自分が決められるということもあって、運命はどうにでもできるという態度のときが多いのですが、実際はそこは大問題になるんですねー。書くほうと読むほうの一番の相違点だと思います。

それにしても、お芝居を書く方はほんと大変ですね。毎回、リアルタイムでお客さんの反応がわかっちゃうんですもの(ガクブル)

ストーリーだけでいいのかい、というご心配のむきもあると思うのでつけくわえると、この本には「登場人物のない芝居はない。まず人物をつくる。それから話の筋を作って、それから台詞だ。話も台詞もあって、人物がないなら、何ができる?」というくだりもあります(p72)