2013年1月3日木曜日

「幸せをかなでる私の音楽」光丘真理

書名:幸せをかなでる私の音楽
著者名: 光丘真理
出版社:佼成出版社
好きな場所: この本を読んでくれたみなさんも「自分らしさ」ってなんだろう、って考えてみてください。外見だけでなく、泣き虫だったり、おこりんぼうだったり、おっちょこちょいだったり……。
所在ページ: p128
ひとこと:先日ご紹介したみらい文庫「いとをかし! 百人一首」シリーズの作者、光丘真理さんの新刊です。

本書は「往診は馬にのって」(井上こみち)、「ぼく、歌舞伎やるんだ!」(光丘真理)、「ホスピタルクラウン・Kちゃんが行く」(あんずゆき)、「ありがとう、諏訪子さん」(深山さくら)、「ぼくらは闘牛小学生!」(堀米薫)などなど、最近話題の本ぞろいのシリーズ、佼成出版社「感動ノンフィクションシリーズ」の一冊です。

ベテラン作家、光丘さんですが、それでもこのご本の出版までには3年を費やされたとのこと。それだけに読みごたえがあります。

小林夏衣さんは、『末端低形成症』で、生まれつき両手の指が合計7本しかありません。しかし、小学校の教師であるおとうさんと、元美術の教師であるおかあさんは、なんでもやらせようと決心して育てます。ですが、正直おかあさんのあまりやらせたくなかったことがありました。それはピアノ。なのに夏衣さんは、やりたいといいはじめます。両親はなんでもやらせるという主義をここでも貫いて、反対することなく、先生をさがし習わせるのです……。そしてついに音大へ。

ところで、だれでも知っていることでしょうが、力がなければ「おとといおいで」なのが、芸術の世界です。ある程度はプロセスも評価してくれる学校とは違い、結果がすべて。ハンデはおいてくれません。だめなものはだめ。ましてピアノは指のストロークが勝負の打楽器のようなものです。十指ある人だって、指を広げたときの幅が3センチ違えば、バスケットでいえばダンクシュートができるかできないかぐらいの差があります。さらに、ピアノの運指というのは十指を前提として楽譜によって伝統的に決まっていて、中には好きにしていいよという先生もいますが、厳格な人はそれでなければ認めないという場合も。プロなんて最初からほどとおかった私だって、子どものころ何度もピアノの先生に「あなたはまむし指だからねえ」とためいきまじりに言われたものでした。まむし指というのは、手をひろげると親指の付け根が奥にひっこむタイプの骨のつくりで、それは打鍵に十分な力が入らないためにピアノではだめなことの一つなのです。私の子どものころとは今は違うでしょうが、そしてこの夏衣さんには障害を補って余りある音感がおありだったのでしょうが、それでも7本の指でピアノを習い、コンクールに出て、音大を受験するなど、並大抵ではない努力がいったことだと思います。それよりなにより「おとといおいで」の圧力に耐えて、それをはねかえす精神力がなければなりません。

そこを夏衣さんは、本書にいう「大ざっぱで、前向き」というその楽天的な性格と、音楽が好きという一念で乗りきってゆきます。そして障害者と音楽ということについて考えはじめ、自閉症の男の子に音楽を教え、ある結論を出すのでした。そのすばらしい内容は読んでいただくとして。

たとえば、才能のある音楽家と障害といえば、中途で聴覚を失ったベートーヴェンの話はよく知られています。でも今までの扱いは、たいてい障害を克服してすばらしい音楽をつくりだしたえらい人、ということでした。しかし、本書のアプローチは違います。引用は、光丘さんのあとがきですが、つまり夏衣さんにあったのはたまたま目に見えるちがいでしたが、目に見えない違いなら多かれ少なかれみんなもっている。それを従来のように「克服」するとなればみんな同じになってしまうわけです。そうではなくその状態も含めて、たとえば人からよくないとたしなめられる「おこりんぼ」や「おっちょこちょい」などのいわゆる欠点を含めて、自分なのだということです。でもなにもしないで座していればよいというわけではない、「みんなちがってみんないい」といわれても、ではどこへどうやって進めばいいのか、そこがだれしも一番悩むところですけれども、夏衣さんの楽天的な努力はその方向をわたしたちに示してくれているように思います。